星野監督の事~その2~ | 卒団・卒部記念品作成デザインスポーツフォトBLOG

もう少し星野監督の事を・・・

私は子供の頃から大人に両足突っ込んでから久しくドラゴンズファンだったのですが、いまではすっかりその熱は冷めてしまいました。あれだけドラゴンズに熱中していたのに、名古屋に住むようになった時には冷めている皮肉を、子供のころの私が知ったら卒倒するかもしれません・・・※アンチになった訳ではない

大学時代は福岡で過ごしたのでパリーグではホークス(当時は弱小)も好きになり、かつての星野ドラゴンズと王ホークスの日本シリーズの時には「どっちを応援しよう!」と嬉しい悲鳴をあげたのに、今では何となくカープを応援している自分がいます。カープファンになった訳ではないのですが生え抜きの若手を育てるチームが好きで、昨今のカープの躍進にはわが琴線に触れるというか、共感する部分があるのだと思います。横浜も少しづつ生え抜きが育っているような感じで最近は注目しています。

なんで、ここまでドラゴンズ熱が冷めてしまったのかなー・・・てふと考えると、きっかけはやはり星野監督が退任してからだなって思います。そこまで星野仙一シンパではなかったのですが、やはりその後の監督がしんみりな性格の人が続いたので、心の中で発信力のある監督を欲していたのだと思います。「星野監督じゃなければドラゴンズファンを辞める!」も「落合監督なんて認めない!」もなかったのですが(今ごろ高木守道はないだろう!は少しあったけど)、落合監督の頃には完全にドラゴンズを客観視するようになっていました。

苦しまず眠るようにタカギの中のドラゴンズ愛は死んだ・・・といった感じでしょうか。

本当に知らず知らずの間に熱が冷め、落合ドラゴンズが優勝した時に何年も会っていなかった知人から「ドラゴンズ優勝でお前の事思い出してメールしたよ」なんておめでたメールが届いた時は心苦しかったです。

決して落合アンチでもなく、監督として結果は残すし黄金期を築いたのは間違いないので、その手腕は大いに興味があったのですが「勝つのが最大のファンサービス」に馴染む事が出来なかった感じです。

もう少し落合監督がメディアに対して自身の考えを発信していればずっとドラゴンズファンだったと思うのですが、優勝争いをしていてもどこか淡々としていて、監督が何も申さずなチームはどれだけ強くても、失った愛を取り戻すだけの魅力はなかったようです。

あぁ今めっちゃ怒ってるな・・・とか、あのプレー納得いってないんだな・・・とか、圧倒的に怒の成分強めだけど、星野監督には喜怒哀楽があって表情から色々読み取れて、監督ってのはそういうものだって思いこんでいたのに、その後の監督にはどこかそういう部分が不足していた・・・そして、どれだけ強くても興味が失せていくという皮肉。

以前、野球をやっていた私の知人が落合ドラゴンズは観ていると何だか社会人野球を観ているよう・・・と言っていたけど、何だかそれも分からないでもないなって今になって思う。社会人野球が淡白な試合をしている訳ではないけど、落合監督の時代は淡々と優勝争いをしているようで興行的に変な感じだった。勝利と引き換えに魅力を失うという不思議な状況。反面、星野監督の時代は常にギラギラしていて、振る舞い、言動など采配以外の部分でも血潮に満ちていて毎ゲーム結果が気になって仕方がなかった。

結局手垢の付いたような例えに落ち着きますが、星野監督にはそれだけ人情味があったって事でしょうね。ファン、選手、マスコミの事も考え、怒ったり、怒ったり、怒ったり、たまに褒めたり・・・感情の振れ幅が不整な感じで突然爆発したり、やっぱそういうところが魅力だったと亡くなってから思う。新聞報道などでもよく耳にする抜群の人心掌握術ってやつは、ブラウン管や紙面越しにも伝わってくるんだなと思ったりも・・・

そして薄暗い土のグラウンドが監督でもあった。就任した時はスマートな青年監督だったけど、古臭いストッキングの着こなしも相まって、知らず知らずの間に泥臭い監督になっていた。たまにドラゴンズ監督晩年のナゴヤドームで指揮を執る映像が流れるとなんだか少し違和感を感じてしまう。

そんなこんなで、闘将星野の事を思い返すと、もう一度、あの闘将が名古屋に戻って来ていたら、もしかしたら失っていたドラゴンズ愛が蘇ったかもしれないな・・・て、ふと思う。そして彼以上にドラゴンズ再建に適任な人物はいないのではないかとも・・・

そう思うとつくづく惜しい人材を野球界は失ったように思えてきて。本当に残念です。

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