星野監督のこと | 卒団・卒部記念品作成デザインスポーツフォトBLOG

星野監督が亡くなられましたね。
鬼籍に入るにはまだ早いというか、そういう順番はまだまだ先の事に思っていました。

それだけに野球界にとって喪失感は大きいと思いますが、あの闘将がよぼよぼになって亡くなるよりは、ピンッとしたイメージのままで旅立ったという点では本望だったのではないかと思います。不謹慎かもしれませんが、らしい最期・・・皆が知ってる星野仙一のままで旅立たれたんじゃないかと。

星野監督の現役時代はぎりぎり知らない世代。当時はまっていたプロ野球チップスでも星野仙一のカードが出た記憶はないので私がプロ野球に興味を持ち始めたくらいのタイミングで入れ替わるように引退されたんだと思います。そんな星野監督に一度だけ身近で接した事があるのは、最初の中日監督就任が発表された直後の事。近所にある浜松球場で行っていた中日の秋季キャンプに来季から監督を務める星野氏が視察に訪れていて、我々田舎のド・ミーハー小学生にやいやい囲まれても動じることなく(当然ですが)少しだけ相手をしてくれた事を今でも鮮明に覚えています。

当時クラスメートで超おっとりな性格だった同姓の星野君を闘将星野仙一の前に連れ出し「こいつも星野!星野!」と低レベルなアピールをするクソガキ連中に「そうか。いい名前だ(低い声)」と返してくれた星野監督は笑っていて、なんだか受け入れらたような気がして嬉しかったのですが、その後の星野監督の闘将っぷりをテレビでみる度に「この暴れっぷりを知っていたら怖くて近づけなかった」と肝を冷やしたのもいい思い出です。

テレビで見る星野監督の印象は、ベンチを蹴っ飛ばす、扇風機を叩き壊す、乱闘に積極的に加担する、選手の萎縮なんてお構いなしの鬼の形相・・・そんなイメージ。薄暗いナゴヤ球場のベンチで不動明王のごとく燃え滾っている様は、昨今の明るくキラキラしたプロ野球界では見ることの出来ない凄みで緊張感がありました。就任当初はまさに青年監督、大臣みたいな風貌の監督ばかりだった当時のプロ野球界において、ビジュアル的には実に爽やかな監督ではあったのですが、実際には青年監督と鬼軍曹のハイブリッドのようで、選手の戦々恐々とした様がこれほど伝わる監督はもう現れないのではないでしょうか。一言で言えば盛り上げれる監督でしたね。

その後、ドラゴンズは勝てるけど盛り上がらない監督の後遺症に苦しんでいるだけに、余計に星野監督の偉大さが身に沁みるような気がします。

早逝は残念ではありますが、ご冥福をお祈りいたします。

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