福岡ドームの思い出 | 卒団・卒部記念品作成デザインスポーツフォトBLOG

福岡に行った時の話に戻ります。

学生時代は福岡ドームでアルバイトをしていました。お酒は飲めませんがビールの売り子です。

この仕事は基本給+歩合、売ったら売っただけギャラはUPするのでやりがいがありました。

重いビールを持ちながら観客席を登ったり下ったりするのは体力的に自信がないとちょっとしんどい仕事かもしれませんが、ギャラと同じで売ったらどんどん軽くなるので「楽をしたければ結果を出す、何もしないと楽にならない」という貨幣経済の下で生きていく課程が凝縮されたようなであり、頑張れば報われるという単純な仕組みは世渡り下手なタカギのような人間のモチベーションを大いに高めてくれました。

因みに1回で20本抱えて売りに行くのですが、すぐに全部売り切ってしまうのでせっかく軽くなってもまたすぐにリセットされて重くなるという繰り返しで、そう簡単に楽な状況は続かないのも人生の波のようであり、良い修行になりました。

ちなみにベテランになるとビールサーバーを背負って売るタイプをやらされるのですが、これは更に重さが増し、その分歩合の単価も上がるので、きついけど儲かりました。球場に行ってサーバーを背負っている売り子がいたら「この子は1杯あたりの取り分が数十円多い」等と思いながら観戦するのもまた一興かもしれません(嘘)

手を休めてぼんやりしているのも禁止なので、じっくり試合を観戦する事も出来ないのですがそれでもプロ野球の試合をタダで目の当たりに出来るのは野球好きにはたまらなく、十分に楽しませて頂きました。当時はイチローがバリバリの頃で、今では想像できませんがオリックス戦が最もドル箱カード。観客も多く、当然、ビールもよく売れギャラも良くなるのでバイトに人気もありました。あとはオープン戦の巨人戦などが稼げるカードでした。

当時のホークスはBクラスの盟主のようなチームで、助っ人外国人にはお騒がせ男ミッチェル(勝手に帰国)、およそ野球選手に見えないドカベン二世のトラックスラー、抑えには、数少ないやってくれそうな風貌(あくまでも風貌)のシグペンらがいて、日本人では岸川、藤本、大道の南海戦士や、イケメン浜名、甲子園を酷評してタイガースを敵に回してホークスにやって来た阪急戦士の松永。投手では吉田豊彦、若田部、下柳らの生え抜きと、役場の窓口にいそうな風貌の内山や渡辺正和らの銀縁メガネ勢らが毎年毎年勝ち星と同じくらいの負け星を抱え奮闘し、中継ぎには足利や高山郁等、昨今のホークスファンの記憶の片隅にはもういないような選手がよく投げていたのを不思議と覚えています。特に藤本の危なっかしい守備を見て「俺の方が上手い」という野球経験者が周りにはたくさんいました。

福岡に移転しても尚、がらがらの大阪球場の方がお似合いな、噛み合わない野球を数年続けていたホークスでしたが、不相応なほどに立派な福岡ドームを本拠地にして、着々と戦力を強化。優勝する頃にはもう就職していて売り子はしていなかったのですが、あの弱い時代にも毎戦多くの観客が訪れていた事を思うと、ホークスは本当に福岡ドームによって付加価値を高め、勝てるチームに育ったように思います。

当時を知るものとしては、2000年代以降のホークスの活躍は本当に感慨深いのですが、スマートさとは無縁な昔ながらの野球選手が洗練されたドーム球場で四苦八苦していた時代も今となっては懐かしい青春の思い出です。

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